神戸と神戸三宮センター街の歩み
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全国の所々で見かけるセンター街という名の商店街。 実は、日本の元祖は神戸三宮センター街なのです。 戦前、三宮本通りと呼ばれていた商店街は、戦後、神戸のお客さんに親しまれる「愛称」をつけようと明治開港以来、和洋混合のムードを持っている神戸で出来上がる新しい商店街として、「バタ臭いもの(今では洋風)」にしようと名付けられた名前なのです。 今では多くの人々が行き来する神戸三宮センター街1丁目ですが、産まれた当初は、閑古鳥が鳴くほどでした。 はじまりから現在の神戸三宮センター街の変遷をここではひも解きます。

神戸三宮センター街のはじまり

神戸三宮センター街の誕生は、1946年。 敗戦の焦土の中に芽生えました。 古くからこの地で商いをしていた人々によって、いち早く新しいショッピングセンターを作ろうという動きが出始め、意欲に燃えた有志達が日夜相寄り協議を重ね出来た商店会がセンター街の最初のきっかけです。 この時は、なじみのない通りである事と戦後の統制経済下のため、正規ルートでの商品での販売は品薄で魅力に乏しく、いつも閑古鳥がないていました。 人々をセンター街へ呼ぶ方法はないかと街の人々が行なったお客さまの誘致の方法として、カタチになっていくのが、松竹映画でも撮影に使われた夜間照明の街路灯、鈴蘭燈、回転アーケード、アーケードなどです。 このように神戸三宮センター街は、少しずつ形作られていきました。
神戸のファッションをリードする商店街として

東京オリンピックにわく1964年、経済高度成長期、神戸もその活況におり、三宮では様々な催しが行なわれてきました。 この時には神戸の人々に認知されはじめ、日々の交通量が6万人を超え、休日には10万人を超えるお客様が訪れることとなります。 お客様が多く訪れる事で、並ぶ商品が少しずつ変わり始め、その時代のトレンドを代表する商品が集まり始めました。 また、訪れるお客様に満足をして頂くために神戸三宮センター街1丁目を利用したウインドーらくがき展や、神戸三宮センター街1丁目・さんちか・そごうを三宮トリオと銘打ったイベントなど、多くのお客様に喜んでいただける催しを行なってきました。 各店員のサービスを向上させる事も大事な課題として捉え、定期的に研修を行なうことで、お客様との応対やご提供するサービスの研鑽に、街の人々は日々知恵を絞って行く事になります。
神戸三宮にしかない街を目指して

2016年には神戸三宮センター街は誕生して、70年を迎えます。 誕生してから神戸の発展とともに、様々な場面に出会うこととなります。 大きな転機は、高度経済成長期を越え、1990年代半ばの1995年に起きた阪神淡路大震災。 神戸は甚大な被害を受け、神戸三宮センター街1丁目もアーケードが崩れ落ちるなど、街として機能がしない程の被害を被りました。 しかし、知恵を絞り震災を乗り越え復興をしていくとともに、神戸を引っ張るとまではいかなくとも、役割の一つとして神戸の皆さんに笑顔をお届けすることができたのではないでしょうか。 街の人々は力をあわせ知恵を絞り、その時々を乗り越えることで神戸三宮センター街1丁目は、今の姿へと成長してきました。 街は移り変わります。 現在では、神戸の交通網が集まり、神戸のハブ的な役割を担い、多くの人々が集まり、起点とする場所へと街のカタチを移しています。 今後の神戸三宮センター街の移り変わりを皆さんも楽しみにご覧ください。
SANNOMIYA2016

2010年「BOS(大型スクリーン)」をジュンク堂の前に設置したことを皮切りに、三宮センター街と神戸の未来を創造する「SANNOMIYA2016」プロジェクトが始動。センター街1丁目振興組合が中心となり、
神戸に基盤を置く4つの建築設計事務所、神戸市内の学生とともに、さまざまな取り組みを行ってきました。
路面にベンチを置いて商店街内に滞在できる場所をつくる「屋台プロジェクト」(2014~)、閉店後の商店街を利用した食べ歩きイベント「ヨルバル」(2016~)、
3階空中デッキを人が集う場所にする「三Fストリート」(2016~)、神戸のおしゃれを最も体現しているお店を表現する企画「メインストリートアワード」(2018~)など、活動内容は多岐に渡ります。
現在は益々その活動の枠を拡大。街全体の活性化に向けて新たな挑戦を続けています。
そうした10年間に及ぶ活動の成果、そして、プロジェクトに込めた想いを立役者らにインタビューし、本ブックレットにて編集しました。
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三宮センター街三十年史

1946年に誕生した神戸三宮センター街。 創立30周年を記念して「三宮センター街三十年史」が制作されました。 三宮センター街創立当時の様子や、当時の歴史を振り返る貴重な資料となっています。
発行:1978年(昭和53年)